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「別れてよかった」映画館で、元カレは言った_私は、溢れ出る涙を、映画の予告のせいにした「いやあ、感動しちゃった」「まだ、早いよ」元カレは、ひとつ空けた座席の上にハンカチを置いた_私はそれを手にして、ほほに当てた「そっちだって、泣いてるじゃん」私は、ハンカチを元カレに投げた_「これは、ポップコーン触った手で、目を触ったからだよ」元カレはハンカチを受け取って、目尻を拭いた_「今日は、ありがと、来てくれて」元カレはそう言って、私と目を合わせた_「誘ったくせに、座席はひとつズラしてるの、なんか笑うけど」私は、ふたりのあいだに空いた座席を叩いた_「もうカップルじゃないし、ちゃんと空けとかないと」元カレはそう笑みを浮かべ、ポップコーンの入ったバケツを揺らした「いる?」「塩味でしょ? キャラメル味がいい」「いいから、ほら」元カレは、ポップコーンを差し出した_手を伸ばすと、照明が落ちた_元カレの顔も見えなくなって、私はひざの上に手を戻した_「とれた?」「静かに、始まるよ」塩味よりも、キャラメル味が好きな私に、元カレは塩味を差し出した_半年も経てば、好きだった人の好みも忘れてしまうんだと、私は指先を擦り合わせた_映画が始まり、私の目には、元カレと過ごした日々が流れた_高3のときに付き合って、ふたりで上京して、同じ家の鍵を手にした_同棲を始めて2回目の春、就職をきっかけに、お互いの帰りは遅くなって、『おやすみ』よりも、『おはよう』で顔を合わせることが多くなった_クリスマスの夜、彼は12時が過ぎても帰ってこなかった_私は、彼の帰りを待つことなく、家を出て行った_そのあと彼は、電話越しに『間に合わなくて、ごめん』と、謝った_私は『もういい、待てない』と、別れを告げた_それから半年が経って、彼の友人から電話が掛かってきた_『あいつ、クリスマスの夜、予約していた結婚指輪を受け取りに行っていたらしい』と、聞かされた_クリスマスの夜、雪が降っていた_バスも電車も遅延していて、彼は走って、家に戻ったと、聞いた_私は、彼の友人に『サプライズに、こだわりすぎでしょ』と、愚痴っぽく言ったけれど、電話を切ったあと、彼があの夜、どんな顔をして、家の扉を開けたのか、想像をして、涙を流した_まるで、私が泣いたのを見計らったように、彼から半年ぶりに連絡が来た_『映画の前売り券、まだある?』と_私は『あるよ』と返した_彼は『一緒に行こう』と、提案した_私は、破るはずだった約束を『いいよ』と、また結んだ_映画館の入り口で、彼はポップコーンを片手に、笑顔でチケットを振っていた_私は、目を逸らして、彼のもとに駆け寄った_肩は触れ合わなかったけれど、また再び彼は、私の視線の先にいた「ちゃんと、集中して」彼が小声で、スクリーンを指差した_私は眉間にしわを寄せて「そっちもね」と、前を向いた_映画が終わり、座席を立つと、彼が私の服を掴んだ「ポップコーン」「え、まだあったの?」「うん、貰って」導かれるその手が、ポップコーンを掴んだ_けれどそれは、堅い何かだった「え?」顔に近づけると、それは指輪だった_「ごめん、塩味だけど」彼が笑った_「なにしてるの?」私は笑みをこぼし、彼を見つめた_「結婚、しよう」彼は立ち上がって、私の手を掴んだ_「え」「別れてよかった」彼は言った「いちばん大切なことに、気づけたから」私は、顔を両手で塞いだ_「目に沁みるよ」塞いだ手から、キャラメルの甘い匂いがした_彼が、私の肩を引き寄せた_強く、両手で抱きしめた_「あのお、すみません」視線の先で、申し訳なさそうに笑う店員さんと目が合った_「あ、ごめんなさい」私たちは、頭を下げて映画館を出た_「恥ずかしいね」「ほんと、なにやってんの」肩が触れて、手を繋いだ_「座席さ、空ける必要あった?」暗闇に慣れた目が、眩い彼の笑顔に目をくらませた_「将来のためだよ」瞬きとともに、ひと粒の涙がほほを伝った_いつの日か誓った『子どもと3人で、映画を観る』そんな未来を、私は繋いだ手を振りながら、また彼の横顔に思い描いていた_