INFO:
父からの間違い電話が、わざとだったと気づいたのは、父が亡くなって数日が過ぎた日のことだった_「携帯変えたんやけど、つい、ボタンを押してしまってよ」まだ使い慣れなれていないスマートフォンで、父は頻繁に間違い電話を掛けてきた_最初は出ていたけれど、大学の講義中だったり、彼女と出かけている時だったり、段々と面倒になっていき、着信履歴の『父』という文字だけをみて、上にスワイプするようになっていった_親というものは、離れると大事に思うのに、近づき過ぎると鬱陶しく感じる不思議な存在だった_そんな父の死因は、浴室での溺死だった_お酒を飲んだまま入浴したらしく、そのまま眠って、水の中で息を引き取った_浴槽からぶら下がる父の手には、携帯電話が握られていた_それは、使い慣れたガラケーだった_スマホになんか変えていなかった_つまり父は、意図的に俺に電話を掛けていた_理由は、のちに発覚した父の足の怪我が原因だった_父は、亡くなる1ヶ月前に、仕事場で怪我をして働けなくなっていた_仕事が生きがいだった父にとって、それは、人生の幕締めにも近い大きな出来事だった_母は、俺が中学生のときに、病気を患って亡くなっていた_大きな挫折を、ひとりで抱えきれなくなった父は、俺に電話を掛けていた_そう推測する_『おう、どうした』時々、間違えて父の電話に掛けてしまう_繋がらない深海のような無音の中で、父の声がする『ああ、また間違えて掛けてたか、ごめんな、忙しいのに、おお、元気にしとるんか、よかった、よかった、お父さんも、元気にやっとるからな、おまえも無理せず、頑張らんとな』プライドの高い、父らしい嘘だった_『今度よ、おまえもハタチになったんやし、お酒でも飲もうや』父と交わした、ちいさな約束_俺は、お酒を持って、父のお墓参りに来ていた_「それじゃあ、お父さん、もう行かなくちゃ」『お、そうか、じゃあ、切るな』「うん」『あれ、どこで切るんやっけ』「真ん中の、赤いボタン」『んん、やっぱりわからんな』父はいつも、自分から電話を切ることを拒んだ_『おまえのほうから、切ってくれ』そんな父の声は、いつも寂しそうだった_「わかった、じゃあ、切るね」『おう、ありがとな』父の遺留品となったガラケーには、待ち受けが設定されていた_それは、卒業式の日に、父と校門の前で撮った、ふたりのすこし硬い笑顔の写真だった_父の腕には、満面の笑みで映る母の写真が抱えられていた_浴室の、浴槽の中で、たったひとり、父が最後に見た景色、それはきっと、3人の笑顔だった_俺は、亡き父の前で、乾杯をした_「乾杯」鳴り響くグラスの音は、あの狭いリビングで、何度も聴いた、ふたりの笑い声をも、響かせていた_